東北暮らし女子の気まぐれ日記~時々、吐露~

気まぐれに日記のように綴ります

余計なお世話であるぞ

ある日。
「(私の名前)ちゃんて、★★ちゃんの信者かと思ってたよー」
「めっちゃ話聞いてたから味方なのかと思ってたー」

この★★ちゃんというのは以前まで職場に居た臨時職員さんのことで、今は転勤されている。
他の臨時さんからこういう話を最近されたのだが、ちょっとだけ「ん?」ってなってしまった。

私は職場の臨時さんも職員さんも嫌いな人は居ないし、無理だこいつ!本気で居なくなれ!とまでいう人は本当に居ない。
(苦手な人は誰しもおるので割愛)

ちなみに転勤されている★★さんも、なかなか強烈なギャルめの女子校カースト一位みたいな人だったが、気さくで明るくて面白い美人さんだった。
多少引くところがあったとしてもお互い様なので、私もこの方とは話も良くするし、昨年度はそれなりにご飯とかも行ってたりした。

どうやら今の臨時さんの中には、このギャルな、気に入らない人に当たりが強かった★★さんが苦手な人がいたようだ。

私的にえ?ってなったのが「信者」という言葉である。話してたり、仲良くしてて信者って何?って思ったのだ。
なんだか★★さんの手下、手先的なニュアンスで使われた気がして、多分冒頭の質問を聞いたときにかなり眉毛が潜まってたと思う。しわしわに。

女子特有のグループ意識が基より嫌いな私は、職場でもグループなんぞには絶対に属さんという意思で人付き合いをしてきたが、こういう、誰しもが敵味方信者手下教祖みたいな感覚で人間関係を表現する人は、あまり信用ならないなと感じてしまったのだ。

勿論、この臨時さんたちも人が良くて好きなんだが、こういう表現の仕方は私のなかでは違和感しかなかった。
その人が好きか嫌いか、尊敬するか軽蔑するかはあくまで自分の価値観である。
決めつけが不快感を生むと言う典型的な例である。

と、いうより私がそういう穿った見方をしないよう反面教師になった出来事だった。


その場では内面では心の底から、「余計なお世話だこんにゃろ」という顔をしながら、「そう見えてました?はははーそれは違いますよー」とのらくら回答していたが、今思うと不快だと伝えても良かったかもしれない。

人間関係ってほんと、難しい。