東北暮らし女子の気まぐれ日記~時々、吐露~

気まぐれに日記のように綴ります

人への関心

好きの反対は嫌い

というのが中学生までの認識だった。

ところがある時、嫌いはまだましだろ、と言われてびっくりした。
「相手を嫌いと思うくらい観察している時点で、認識してる時点で、関わりを持ってる時点で、相手に関心があるってことやろ」

その通りだ。
相手を知った上で抱く感情に嫌いが乗ってる。
勿論、第一印象だけで嫌い、苦手と思うこともあるが、大概はある程度相手を見た上で判断している。


昔、思春期の頃、大嫌いな同級生が居たとき、たまらず友人にその話をしたところこういわれた。
「優しいなー嫌いって言えるぐらい相手に思うことがあるんやろ。それは相手に、関心があるからよ。」
「でも嫌いやねんで?」
「いやいや、嫌いよりもっとひどくなると無関心よ。極端に言えば、その人死んでも何とも思わんってこと。」

衝撃だったが頷けた。
確かに、相手が傷ついていようが泣いていようが怒っていようが、全く感情が動かない人がいる。
私もいる。

私にたいしてもそう思っている人は山程居るのだろう。

そう思ったとき、なんか嫌いな人のことが急に身近に感じられたと同時に、悩みがふっとんだ。

あ、嫌いとか思えてるのすごい。
あ、無関心になれば気にしなくて済むのか。
その大人びた友人は何もかもを達観したような目をしてた。


こうして自分の周りに自分が無関心になっていく人が増えていくのは怖かった。
けど、そのぶん関係を大切にしたい人との関わり方はとても濃くなった。
相手への感情の抱き方が多種になった。
あ。自分が無関心になるひとのタイプもだんだんわかってきた。

無関心すぎても良くないけど、心が楽になるならその方がいいな。